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浜風の香る町
大阪から帰って一週間余り。

こちらでの生活も落ち着いたところで、海辺の町にあるおじいちゃんの家へ泊まりにいった。

僕は昔っからのおじいちゃんっ子で、「小さな頃はよくじいに連れられてうろちょろしとった」

と、先日も親父に聞かされたものだ。

当時の記憶は断片的にしか思い出せない。小さかったこともあるし、十数年前のことだ。

時間はときに酷である。

しかしその記憶の断片からは、今でも懐かしい温かみを感じ取ることができる。


   * * *


おばあちゃんが亡くなり、今おじいちゃんは一人暮らし。

仕事で船に乗っていたため身の回りのことは一通り出来るものの、

やはり一人では寂しいはずである。大学に入って一人暮らしを始めて自分が痛感したことだ。

おじいちゃんの家に泊まりに来たのは、辺りの写真を撮りたかったというのもあるが、

やはり出来るだけ一緒に居てあげたいとの思いからであった。


   * * *


僕たちが遊びにいくといつも、食べきれないほどのご馳走を用意してくれるおじいちゃん。

今日もまた、例外ではなかった。

鍋に軽く4人分はあろうかという溢れんばかりの食材、今日はすき焼きである。

孫においしいものを沢山食べさせたいとの思いからだろう。

孫バカである。

テーブルには6つの椅子、目の前には4人分のすき焼き、食卓には祖父と孫の2人。

昔はよく祖父母と家族6人でご飯食べたな。小さな頃、すき焼きには卵つけさせてもらえなかったっけ。

おじいちゃんから卵を受け取りながら、しみじみ思った。

しかしふと我に返る。目下の課題はすき焼きの征服。

せっかくだから全部綺麗に食べてあげたい、そう思うのであるが

どうもこの量は無理そうだ。まあ出来るだけ頑張ってみよう、と心に決める。


食べ進んでいき、鍋の中が半分になろうかという頃、丁度生卵が尽きた。

うーん、ここらが潮時だろうか。思案しているところへおじいちゃんの手が伸びる。

手には卵。生卵が無くなったのをみて、とってくれたのだ。

そうか、腹を括るしかないようだな。

妙な使命感に駆られ、既に八分目をこえた腹にすき焼きを詰め込む。

思えば、昔からそうやって満腹超えるまで食ってたなあ。

じい様がバカなら孫もバカである。

そして残すところ3分の1程になった頃、遂に限界を悟る。

あーあ、こんな時ギャル曽根ぐらい食えたらなあ。との思いが一瞬頭をよぎるが、

食費がかかってしゃあねぇやと、脳内ツッコミが入る。

またふと我に返ってごちそうさまを言った後、お茶を一杯あおって台所をでる。


外は相変わらずのむあっとする熱気。

そこへ網戸にした窓から浜風が吹き込む。

ほのかに香る潮の匂い。どこか懐かしさを秘めた匂い。


おじいちゃんに連れられて歩いた、海辺の町の匂い。


次もまた、時間があるたびに泊まりにこよう。とおじいちゃんの背中を見つつ改めて思う。


ここは浜風の香る町。
by seul_ciel | 2007-08-20 21:51 | 日記


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